May 31, 2012 - blog    No Comments

LEE BUL:
FROM ME, BELONGS TO YOU ONLY

韓国人アーティスト、イ・ブル女史大規模個展がありました。
紹介文は森美術館の公式サイトに詳しいので、ここでは繰り返しませんが、サイトのトップに表示される『出現』という作品は金沢21世紀美術館 1 に所蔵されているらしいので、また観に行きたいと思います。

アウラ2 、という概念をめぐっては多くの議論が交わされていますが、世界が複製品で溢れて、情報化されたものにはどこでもいつでも会える、という状況に至ってなお、私たちはなまの作品に触れたいと願い、そこに出会いを求めていきます。アーティストの見た世界、息吹、その衝動、感性を、自分の身体というメディアで触れ、確認し、ともすれば追体験するために。

彼が作品の複製というものに対して抱いた嫌悪感の片鱗を、私も共有しています。けれど私は、例えば今回の展示であれば『ブルーノ・タウトに倣って(物事の甘きを自覚せよ)3 』や『秘密を共有するもの』のポストカードを買って、それをファイルに忍ばせ、何気なく取り出しては思い返し、完璧ではないにせよその気持ちを追体験しています。

思い出を思い返す時でさえ、その体験と私たちは再び邂逅し、迷い、悩み、ともすればそれによって傷付いたり、過去のある時点にまでどうしようもない力で引き戻されたり、しています。
アウラ、一回性のもの、オリジナルにしか存在しないもの。そうでしょうか。だって複製品は、複製されたものとして現出しているのです。私たちはそれに「出会って」いる。呼吸している。
答えは、まだ出ません。

クラッシュ/出現/断食芸人

最も初期の作品がソフトスカルプチュアといって布や綿を用いて作成されているのに対し、次のエリアで目にしたのは、ビーズやワイヤー、ステンレス、ポリウレタン等の人工的4 な素材を用いて作り出された作品群でした。
何気なく目にしている無機的な素材が、彼女の手によって組み合わされ、存在として姿をあらわすとき、デリケートでナイーブな女性の身体フォルムを象った全体の姿や、或いは移ろいやすい心性やはかない美しさが現出したかのような繊細なビーズ細工に、私は心を奪われ、吊り下げられた作品をただ見上げながら、また床に無造作に散らばったビーズの1つ1つの輝きを目で追いながら、その彩りに没頭したのでした。
「自分の人生や自分を取り巻く世界、社会がとても不合理で、受け容れ難いものに思えて(……)それが人類や未来へと向かっていって、終わりのない問いになりました」

ブルーノ・タウトに倣って(物事の甘きを自覚せよ)/私の大きな物語:石へのすすり泣き/朝の曲

この個展は彼女の作品群を年代毎に追っていく構成になっており、身体をイメージさせるような作品から、徐々に大きな作品、建築的な作品へと変化していきます。ここでもビースやワイヤーを用いた細工が生きていて、床面の鏡に映ってその幻想的な姿を更に美しく見せていました。
「ユートピアと幻想風景」「理想的な社会や幻想風景、現実と虚構の空間が交錯」——エスペラント語で書かれたメッセージが明滅するネオン、北欧の建築のように天を突く山、床に零れ落ちるビーズ細工の群れ。この頃になると時代を支配したイデオロギーや価値観を取り入れた作品が登場します。
彼女はブルーノ・タウトに言及し、「建築は物理的にも理想という意味でも人類が置かれる状況に関わ」っている、とした上で、「彼は検閲も限界もなく理想の環境を作ることが出来ると分かっていたのです」と表現しました。
「理想を夢見ることが大事だと思っています」

秘密を共有するもの

この作品は今回の個展にあたって制作された新しいもので、無機的な素材と有機的な(例えば木材のような)素材を組み合わせて表現されています。『出現』や『クラッシュ』に似た、けれど全く違う作品の横を通り過ぎると、一番奥が全面ガラス張りとなったエリアに背を向けてそれは現れました。アトリエを再現したエリアで24体の試作品が展示されていなければ、犬の姿だと俄には分からないような姿をした、繊細で攻撃的で、輝く、バラバラな光の群れ。体を突き破って外へ、外へ。燃えるように輝く東京の夜景の中にガラス越しに浮かび上がる姿は、彼女がインタビューの中で言及していた通り、とても孤独で、けれどすべてを預けるかのように、さらけ出しているかのように、私には見えたのです。

私からあなたへ、私たちだけに

「とても暖かくてとても愛おしくて、そんな感覚の中にいたい
できることならそれを与えたい 共有したいという気持ちを込めました
いつも別の何かを探していることがすばらしいのです
残酷で惨め、同時に幸せで楽しい
そんな対照的な状況を見比べることはできませんが
それがどういうことなのかを見極めたいと 過去20年間頑張ってきました
そのプロセスが作品なのです」


  1. 「ソンエリュミエール – 物質・移動・時間」と銘打った企画展が11月まで開催されているようなので、これにも是非行きたい!ヤン・ファーブル草間彌生ゲルハルト・リヒターアンディ・ウォーホルと聞いて行かない人がいるでしょうか。というかあれだけのラインナップの中でこのくらいにしか言及出来ない=全然知らなくてすみません。 

  2. ベンヤミンの提示した概念で、複製芸術ではないオリジナルな作品がもつ「崇高な」「一回きりの」出会い、そこに見出すもの、といったニュアンスで私は捉えています。 

  3. このタイトル、ポストカードを見ると「物事の甘きを自覚せよ」なんですが、私が当日会場でとったメモには「夢の甘きを自覚せよ」となっていました。深層心理の現れでしょうか。面白いですね。 

  4. この表現もなかなかアグレッシヴですが、どうでしょう、自然界を思わずにはいられないような素材とは別に明らかに工業的な手法によって作り出されたこれらの素材を用いた作品は、やはり存在としての手触りが異なるように思えるのです。 

May 2, 2012 - graphic    No Comments

ねとぽよちゃん2

ねとぽよちゃんです2。
素直そうに育ってるーとコメント頂いたので、じゃあ現実はこんなかな…と描き足しました。
暴れ回るコドモもけっこう可愛いと思います。

使用ソフト:Adobe Illustrator CS5

May 1, 2012 - graphic    No Comments

ねとぽよちゃん

ねとぽよちゃんです。
文フリにねとぽよ第2号が出るということで、きっと徹夜で編集作業をしているのだなーと、ということはねとぽよちゃんは暇してるのだなーと、思って描いてみました。

本当は幼女なんですけど…なんか育った…

使用ソフト:Adobe Illustrator CS5
      (水彩ブラシ重過ぎて何度かクラッシュ食らいました)
      PSとかいまいち性に合わなかったけどイラレはいけるかも。

Apr 30, 2012 - blog    No Comments

ネットの羅針盤:
どうする?ニッポン二次創作文化と著作権とTPP

行ってきました。内容は「TPPがもたらすかも知れない秩序変更について」。

ゲストは赤松健先生(@KenAkamatsu web)、池貝直人さん(@ikegai web)、綾川ゆんまおさん(@yunmao_ayakawa blog)、希有馬/井上純弌さん(@KEUMAYA web)、丹治吉順さん(@tanji_y FB)。司会は津田大介さん(@tsuda web)。会場からの参加は小倉秀夫先生(@Hideo_Ogura web)。

同人誌の話

(1)原稿料が低くて(2)単行本が売れないという出版不況の中ではマンガ家は生活出来ず、同人1 に頼るケースが頻発する。

コスプレの話

コスプレイヤーたちにとって自己表現/コミュニケーション手段であるコスプレは、二次創作に当たるのだろうか?

(1)衣装だけ作ってただ着ている場合、洋服のデザインは「所詮デザインであって著作物ではない」。ただし「高度の鑑賞性がある場合は著作権が発生する可能性がある」。
(2)全体として似ている場合、つまり人体を含めている場合、複製「物」になるのか?という新たな切り口が発生。入れ墨について2 問題になったケースあり。

企業イベント等にコスプレイベントが含まれているケースを見ても、歩く広告塔としての意義、また盛り上げ役としての意義もあって、一概に論じきれない。

初音ミクの話〜「作品」とは何か

多くの作品は著者の死によって急速にその市場価値を失う。著作権が失効する頃にはビッグネーム以外はほぼ絶版でサルベージも出来ない状況であり、これらの作品は青空文庫等のパブリックドメインによってすくい上げられている。
作品はたしかに作者によって生命を得るが、生命を繋ぐためには読者が必要である3 。初音ミクは創作の連鎖によって社会現象にまでなった。このことを考えるとき、作品の作品性がどこにあるか、という問題に行き着く。

ミクを取り巻く創作の連鎖から垣間見えるのは、良い作品は流動性を持っている、ということである。シンデレラ4 や白雪姫5 等は時代背景によって翻案されながら残ってきた。翻案こそ伝承の原型ではないか?6  7

変化しながら伝わる、のがコンテンツの原点だとすれば、伝承とは、翻案を間に挟むことによって作品に新しい生命を吹き込み続ける作業でもある。作品は「固定されつつ、絶えず翻案され、流動し、価値を付け加えられていく」時代へ。

米国と日本とではルールセットが違う

現状、二次創作については原作者や出版社が「目を瞑っている」状況で、安定しているが、TPPはこの著作権の秩序を変えてしまう可能性がある。
非親告罪化するということは、作者でも何でもない第三者が訴え、法廷賠償金がかかってしまう可能性が出てくるということである。

現在提示されている案では、日本の罰則はかなり厳しく、米国のようなDMCA(免責事項)もない。保護/規制が大事だという誤解を招きやすいが、保護と利用のバランスが大切である。非親告罪といった場合はデリケートな問題を取り扱うことが多いため、著作権法も同じような基準で必要以上に厳しい設定を課されようとしているのではないか。

タブーのなさが日本の創作の力だった。ルールを厳しく設定して運用でカバーするという日本のお家芸8 は、著作権に関してはダイレクトにモチベーション=創作意欲そのものに関わってくるので難しい。
米国と日本とでは商業マンガにおけるオリジナルの割合がそもそも全く異なり、社会的な背景も異なるため、ルールをそのまま適用は出来ない。TPPに対して律儀に対応する必要があるのか、という議論も起こり得る。

非親告罪化されちゃったらどうする

ここで赤松先生から大提案。
出版社と原作者は二次創作に著作権利用を認めてしまう、というのがその骨子。(1)イベント当日のみ許諾 (2)サークル参加者たちは許諾申請料を支払う、ただし払わずに活動するグレーな仕方(現状と同じ)もOK (3)海外展開も出来るように…というもの9
問題は、作家さん個々人で二次創作に対する考え方が異なるという点だが、そこは出版社がその気になって説得する。斜陽の出版業界にとっては収入源ともなり得る話なだけに実現性は高いのではないか。

先鞭を着ける

トレス検証サイトをめぐる話の中で、「全ての芸術は模倣から始まるんですよ」と赤松先生が仰ったので、ああ今回の話は全部繋がったなあ、と個人的には得心しました。
世界をどう記述するかの話なんですね。そこでお金が発生したりしなかったり。

そして創作ってデリケートだなあと思うのは、情動と密接な関係があって、生き物で言ったらカエルが環境の変化にたいへん弱いように、ちょっとしたことですぐにアウトプットが変わってしまったりするのです。根底にある創作意欲や、ものをつくるということ自体は変わっていないように見えても、その再現性(心情や主張の)は、やっぱり変わってしまうと思うので、TPPや著作権に関してはもっと対策していいと思うし、それを創作しない人たちにも分かってもらわなければならない。

「運用でカバーする日本のお家芸」という部分は会場からの質問によって出てきた視点なんですけど、その質問をした学生さんはきっと、規制があるだけで作品や創作には大きな影響が出るということが「分からない」方で、「分かる」人から見たら自明のことが全然通用しないんだなあと感じたと同時に、そういう方々を納得させられるような提案がなければ、自分たちのことを守れないんだ、と感じました。

事前に情報を入れていなかったので、打ち上げには不参加。次回の「ネットの羅針盤」までには事前調査して、打ち上げで意見交換が出来るようにしたいと思います。非常に実りある良い会でした。あと津田さんに名刺渡せてよかった。私も頑張ります。

追記:togetterでまとめられていたのでリンクします。


  1. 二次創作は、同人はOKで立体はNGとされているようです。その理由は、「立体は批評ではなく単なる真似。同人(二次元)は文化で批評性がある」から、とのこと。この基準も随分文学的なものの見方だと思いますが、やっぱりプロダクトは強いってことなんですかね。 

  2. 同一性保持権? 

  3. 著作権はこの後半部分を著しく拘束する 

  4. 『The Cinderella cycle』Anna Birgitta Rooth,『シンデレラ物語』山室静 

  5. 『白雪姫コンプレックス』佐藤紀子 

  6. 作品が「固定化」されるようになったのは印刷の登場以降ではないか、著作権という物を考え出したのも印刷業者だ、という指摘もなされているようです。『印刷革命』E.L. アイゼンステイン 

  7. 固定化された作品の神格化についてはこちら。『反音楽史―さらば、ベートーヴェン』石井宏 

  8. 交通法規のスピード違反等に見られるような。 

  9. 内容チェックについては出版社や作者は関与せず、今まで通りコミケ準備会にお任せ、という部分がかなりWin-Winな気配がしました 

Apr 23, 2012 - blog    No Comments

20120407 深久ライブ

江戸川公園で歌ってきました。
 
 

セットリスト:

1. ぼくらの世界
2. ごはんですよ
3. 星空
4. 冗句(深久バージョン)
5. 謎のエネルギー
6. 春風
7. 愛の歌

お花見!って騒ぎ過ぎて、最初ぜんぜんちゃんと歌えなかったです…(^-^;
でも何とかなってよかった。
桜の下で「春風」を歌える日が来るとは思わなかったなあ。

深久はけっこう夜向きというか、ライブバーでお酒のお供に歌ってた記憶が鮮烈なので、あんまり陽射しに似合う曲がないことに気付きました。
今年はちょっとそういう曲も増やしていけたらいいなと思います。

こちらは武蔵関公園の枝垂桜。
風に揺れる様が写真に残って、まるで光をまとっているかのようです。

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